日進月歩

文章を書く練習

夏の夢をうたう #瓶詰めリュズタン

おぼんろ第19回本公演 

『瓶詰めの海は寝室でリュズタンの歌をうたった』

 

8月14日の昼夜公演を見てきたので、とりあえず全人類とそれ以外の全てに8月16日(月)のアーカイブ付配信を見てほしいという気持ちでただひたすら良かった良かったと書いていくだけです。

https://l-tike.com/obonro-stream/

ネタバレ配慮出来ないので、既に配信見ようかなという気持ちの人はスクロールしないで上のローチケURLクリックしてそっち読んでください.

 

窓から入ってきた少年は、男の目の前に瓶を掲げて言った。

 

「海を盗んできた」

 

瓶の中に閉じ込められた海を見つめた初老の男性は、この少年に見覚えがある気がする。

 

「ベッドにつかまって」と少年は優しく叫んだものだから、男は慌てて従った。

 

瓶が床に叩きつけられ割られると、中から海は溢れ出し、ベッドは大海原に浮かんだ。少年は言う。

 

「お前を裁きの場に連れてゆかないといけない。」

「俺が何をした?」

「夏休みの宿題をまだ提出していないだろう」

「・・・いつの話だ?」

「小学3年さ」

「バカ言うな、俺は今年で59歳だ」

「なんてこった!だったら早く提出しなければならないな。さ、シーツを帆にして風を受けるんだ」

 

男は困ってしまった。

「今夜は眠り薬をたらふく飲んだ。せっかく、死のうとしたのにな。」

 

目の前に広がる海は、あまりに美しく輝いていた。

 

おぼんろ最新作は、夏の夜に繰り広げられる老人による不思議な海の冒険譚。

 

今を生きろ。今、ここにある美しさに目を凝らせ。それでダメなら想像するんだ。心の底からのしあわせ願いながらに。

 

 

 

2年ぶりに劇場で浴びるおぼんろ公演、それだけで胸が躍る気持ちと、いつもと違う普通の劇場で見るちょっぴりそわそわした気持ち。客席の中を駆け、前後左右上下を駆けて物語を紡ぐことがおぼんろを見ている中で当たり前で、でも大きな部分だと思っていたので、それがないということでどうなるのか、少し不安で、でもおぼんろの物語の中に入ってわくわくしなかったことなんかないじゃん、と思いながら客席で開演を待った。

最初にいつもの想像力の練習がない、とドキっとしたのだけど、それが『殿清たちの想像力の練習』という形で出てくるので心底まいってしまった。もちろん悪い意味ではなく、今までにやってきた想像力の練習の、さらに原点がそこにあるような感じがしたというか、自分が初めておぼんろの公演を見たキャガプシーで想像力の練習をした時のことを思い出した。弁士は映像でしか見たことがなかったので、初めて生で見ることが出来たのも嬉しかったな。というか、最初のアナウンスでオチの話(オチ?)しちゃうの斬新で笑ってしまった。でも終わってみると、トトロのメイちゃんじゃないけど、「夢だけど、夢じゃなかったー!」って感じ。

昼公演は1階、夜公演はせっかく席が選べる機会だからと2階で見たのだけど、今までで一番舞台上と距離のある席で見たにもかかわらず絶景だったし、2階から見ると海の中を覗き込んでいるようで、今までのように床に座って見る物語では見えなかった視点から見られたのが新鮮だった。やっぱりおぼんろはどこで見ても特等席なんだなという気持ちを新たにした。

 

小学校3年生のときの夏休みの宿題を提出していないかつての少年が夏休みを終わらせるための物語。あの瓶はきっと、海を詰めるためのものだった。

小さい頃の夏休みって冒険に溢れていて、楽しいこともそうでないことも含めて何かにつけて世界が広がっていくような気でいたものだったと思い出した。初めて乳歯が抜けたのも、合宿で出来もしない長距離走に挑戦したのも、一度だけ明け方まで勉強したのも夏休みだったなと懐かしく思ったけれど、夏の思い出って大人になってもつくれるし、作れないなんて思っているのは自分なんだなと気付いた。

殿清がみんなの想像力に引け目を感じるように話すところ、なんだか思い当たるところがあるなあと切なくなった。でも、そこでキヨの言った『想像できる自分を想像する』ってすごく素敵だなあと思った。なんか、それだったらできるかもしれない、って思える。ような気がする。そしてその一方でキヨがもう想像できないかもしれない、と絶望するところや殿清がもう想像したくないと話すところ、とても苦しかった。自分の想像や行動が誰かを苦しめているのかもしれない、と動けなくなることも、自分の想像で自分が苦しくなってしまうことも、でもそれを乗り越えるのも想像力なのかもしれないな、と思った。

 

あと個人的にかわいいポイントは、塩崎さん演じるラッコが冷え性なので手を目に当てるんですけど(ツイッターとかで良く見る?やつですね)、眩しい!っていうときにも同じポーズするところです。ぜひ気にして見てほしい。

 

 

そして最後に本編に関係ない話。でもこれが書きたくて土日3公演見終わる前に慌てて書いてるみたいなところもある。

昼公演の最後の挨拶で拓馬さんが「大丈夫、世界は楽しいですよ」って言ってくれたときに本編と同じくらい泣いてしまった。本当は昼公演、友人も見に来る予定だったんですけど、体調良くないとのことで念のためと配信待ちに切り替えていて、それでなくともつい先日、都の感染者が5000人を上回っていて、世の中は大変なはずなのにわたしの仕事は毎日通勤して何も変わらなくて、だけど休日は外出するなとか言われて、自分なりに対策しつつこうやってときどきの観劇を再開してるけど、友人に会う頻度はガタ落ちしたし1年半帰省も遠征もしていないし、なんか楽しいことしていても最後に罪悪感あるし、みんなそうなんだとは思うけど毎日どこかもやもやしてるし楽しいこと純粋に楽しいって思えてないなって感じてたので、世界は楽しいものなんだって言葉にしてくれる人がいるというだけでひどく安心した。しんどいこともいっぱいあるけれど、そのために楽しいことの楽しいという気持ちをなくしたくないなと思う。